2019/12/30 Writer:犬岩石
私事であるが、ヴァンフォーレ甲府対水戸ホーリホックが行われた7月31日は誕生日だった。残念ながら現地に行くことができず、小瀬スポーツ公園体育館レストランのテレビから試合の行方を見守っていた。
この時期ヴァンフォーレ甲府は、苦しんでいた。7月は(7月27日ファジアーノ岡山戦まで)1勝3敗と負け越しており、今節負けたらJ1昇格争いからまた大きく離されてしまう。そしてJ1昇格争いのライバル水戸ホーリホックとの直接対決を制したい。
この試合オミ(山本英臣)が5試合ぶりに先発出場した。 オミは、私と同じ年1980年生まれの39歳。過去ヴァンフォーレ甲府には多い時で7名いた1980年生まれの現役選手も今はオミ1人。私は同じ年で今でも現役でプレーしているオミを応援しているし、プレーから大きな刺激を受けている。そのオミが先発出場することで、チーム全体が締まり3試合ぶりの勝利を期待していた。
しかし、そううまく物事は進まなかった。61分、水戸・小川航基に先制ゴールを決められる。水戸に先制された後、甲府は好機は作るがゴールになかなかつながらない。
そしてアディショナルタイム2分、橋爪勇樹のクロスをオミが頭で合わせる。そのボールは水戸のゴールネットに突き刺ささり同点!オミのゴールは「俺たちはまだ諦めていないぞ!」とプレーでチームメイトを鼓舞し、サポーターたちに希望を与えてくれた。
同じ年のオミの活躍に、私はオミが「俺はやれるぞ!お前はどうなんだ?」というメッセージを伝えてるように感じた。上手くいかないことに対して、目を背けていないか?オミのように自ら先頭に立って周りを鼓舞したり、「俺が決める!」と率先して行動していないだろうか?勝手ながらオミのゴールから大切なものをもらった気持ちになったし、生涯忘れることができない誕生日となった。
最後に
「オミ、大丈夫。俺もまだまだやれるよ!」
Writer:犬岩石
Twitter:@inuvfk111
1999年VF甲府がJリーグ参入と同時に応援開始。チーム存続危機、J2優勝、3度のJ1昇格とJ2降格といったチームの変動を実体験。『VF甲府は、世界から愛され、無くしてはいけない存在』となれるよう、サポーターができる支援活動を展開中。バス小瀬新聞編集長。フクコセ代表。